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2009年3月の記事

2009年3月31日 (火)

杖を右手に持ってしまうと:片麻痺での実生活

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よく言われている話なのですが、たとえば左片麻痺で杖を右手に持ってしまうと、これで両手塞がりの状態になります。歩きながら財布や定期、ハンカチを出したりする手がありません。立ち止まって杖をいったん置くか持ち替えなければいけません。

電車の切符を買う時に杖を倒して転がしてしまうことが度々ありました。それで写真のような杖立てを付けて、さらにストラップ2つを改良して肩かけストラップにしました。これはどちらも重宝しております。カバンもリュック型にしたので、やたら肩にモノがかかってますが、手は解放されます。あとは雨の日の傘と杖の問題だなぁ…。ワンタッチ折り畳み式杖とかもあるようですが、ちと値が張ります。杖同時兼用傘とかってあるかなぁ?

医者から杖なしで歩けても、杖を持っていれば周りの人がいろいろ気遣ってくれるからいつも持って歩くようにと言われたが、最近では気遣いされるのもうっとおしい。杖が要らなくなるようにリハビリ頑張って回復させるのがベストです。

2009年3月30日 (月)

人の心がわからんのかいッ!:人としての尊厳、クオリティオブライフ

mixiの日記では手足が不自由になってからのオイラのビミョウな心の動きがわかる。同じ病室の人たちの態度とかも気になった。遠吠えの様に叫び続ける患者、「ワシを子供扱いするな!」と何度も看護婦を怒鳴りつけたおじいちゃん患者。介護や同情は過ぎたるは及ばざるが如しである。

実際オイラも上司や産業医との面談で、社会復帰時の就業について「特別扱いはしないで下さい。皆と同じでお願いします。」と要求した。デスクワークの研究・管理職なので片麻痺は仕事に何も影響しない。電車などでシルバーシートを譲られそうになると「ありがとうございます。でも、大丈夫ですから!」と席を遠慮してしまう。

実際、同情や哀れみみたいなモノを感じ取るとムッと来てしまうことがある。相手に優越感や余裕からくる偽善が裏にあるのか?とまでは言いやしないが、特別扱いしないで欲しい、他の人たちと同様に扱って欲しいというこちらのプライドや尊厳を何故わからんのか!といいたくなる。まぁ、相手は優しい人なのだから、とこちらは何も口に出さないで言葉をつぐんでおこう…。

同情なんかされるとかえってこちらは惨めな思いをすることになるし、と心が傷つくこともある。こうした人の気持ちをわからない人とはなるべく関わりたくないなぁと思うようになった。

いくつかの不便:片麻痺での実生活

このブログを呼んでいる人の何人かは前に書いた左側通行や左手すりの階段の問題のような実生活での困り事などに関心があるようだ。いくつか感じたことを追加して書いてみようと思う。

●世の中早歩きの人が多い:田舎から大都会に出てきた人が最初に感じる事と同様に、人がやたら多くて、しかも皆早歩きでせわしなく歩いていることに気が付く。自分が杖でゆっくりでしか歩けないために余計にそれを感じる。歩いているとどんどん抜かされるし、信号などでは皆早歩きで渡っている。流れに乗らないと人が後ろからぶつかってくることがある。杖ついていようがお構いなしである。というか見ていない。自転車などがぶつかってくることもあるが、これは痛い。

●上りエスカレーターはあれど下りがない:これはやはり健常者の発想なのだろう。上りは疲れるから片方向だけ付けるなら上りだという発想。多くの障害者にとっては上りより下りの方が辛い。上り階段は休みながら非麻痺足中心で力づくで行けばなんとかなるが、下り階段は麻痺足の抑えがきかず転げ落ちそうになる。怖い。エスカレーターは下りがほしいところだ。

●右の袖口のボタンが留められない:左麻痺の場合、麻痺手のみで留めなければならない右の袖口のボタンには困る。最初から留めておいてから手を通すのが良い。麻痺側を先に通すとか、非麻痺側から脱ぐとか、衣服の着脱など細かい点での困難はとてもたくさんあって全てをリハビリの中で事前に教えるのも大変だろう。経験あるのみだ。

とりあえず、前書いた左手すりの問題以外で気がついたことを書いてみた。また、他に気がついたら追加しますね。乞うご期待。

2009年3月29日 (日)

結局筋トレ!?:現在のリハビリ

左手足に怪我などをしたわけではない。右脳内の運動神経と感覚神経の問題だと書いた。それでも左手足に力はなくなっていた。例えば握力であるが、発病前に何時計ったかは定かではないが、右手が40台、左手が30台であったと思う。それが退院時に計ったら右手は39、左手は18であった。左手の落ち込みが激しい。右手の半分も力がなくなってしまった。これは使われなくなった筋力の低下もあるし、やはりその筋肉をうまく神経がコントロールできていないということもあるようだ。結局、力はなくなってしまうのだ。

ギターを弾くのに筋力はあまり要らない。か細い女性プロギタリストはタクサンいる。指がよく開くという柔軟性やすばやく動く器用さ、長く弾き続ける持久力があればよい。握力はせいぜいチョーキングビブラートができるぐらいあれば十分だろう。

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それでも力がないのは日常生活でさまざまな場面で困る。重い荷物を持ち上げたり、持ち運んだり、長時間歩き続けたり…。結局、休日などは普段ウエイトを左手足につけることにした。手が500g、足が700gである。(写真)これでしばらくは力をつけてゆこうと思う。

残されたもう一つの障害は左手足の知覚神経である。相変わらず、たまに自分の左手足の位置(どこにあるのか)がわからなくなる。座っているときの左足の位置がわからなっくなることがある。電車などで駅に着いて急いで立ち上がろうとしたら左足がヘンな位置にあってうまく立ち上がれなかったりする。

また熱い冷たいといった温度感覚が鈍い。熱いお茶がその熱さがわかるのにワンタイミング遅れる。これは下手をすると火傷をしかねないので怖い。右手の感覚を10とすると左手は4くらいか?同様に触ったものの柔らかいか?ざらついてるかなどの触感も左は鈍くなっている。これは力加減に影響する。柔らかい物を持ったとき、それがわからず握りつぶしてしまうのだ。ブリッコパックは握りすぎてストローから飲み物がピューッと出てしまうことがある。

これらもいろんなものを触ったりしながら、日常生活の中で知覚神経を再構築していくしかないのだろう。時間はかかるかもしれないがゆっくり治して行こうと思う。

2009年3月27日 (金)

階段が怖い!:リハビリ後期

リハビリ入院も後半に近づいてくると、外出訓練といって療法士さんと一緒に病院の周りを外出する訓練を行う。オイラは希望して電車に乗る訓練も行った。東神奈川の病院から横浜ベイクオーターまで往復した。これは退院して実際に町を歩くための非常に良い経験になった。以下気がついた点を列記する。

1.世の中左側通行が多い! 駅のような多数の人が利用する施設は現在は法律でエレベーターやエスカレーター、手すりなどが取り付けられている。当然他の民間施設と違って利用は楽勝だと思っていた。ところが、いった横浜駅ではエスカレーターやエレベーターの位置は遠くて遠回りになるし、混んでいるので時間もかかる。人の波に乗っていると自然に階段の方へと流される。そして階段や通路は全てみな左側通行になっている。左片麻痺のオイラは手すりは右側にないと使えない。

仕方がなく手すりを使わずに杖で一段ずつ階段を昇降していると遅いので後ろから人がぶつかってくる。思わず階段を転がり落ちそうになる。特に下り階段は怖い。バランスを崩し足が何度もすくんでしまった。左側通行を無視して右手すりになるように歩こうとすると前からお年寄りが手すりにつかまって近づいてきて向き合ってしまう。譲るのも大変だ。

これは予想外だった。手すりもエスカレーターも関係ないのだ。世の中左側通行が多くて左片麻痺の人は覚悟して練習しておくべきだろう。おいらは結局、左手すりを半身に構えて右手で持つようにしているが、つえを右手で持っているとまた厄介だ。

2.移動時間が倍近くかかる。エレベーターやエスカレーターの位置の問題や混雑、さらには自分の歩くスピードの遅さで普段なら5分でできる移動も10分かかった。ここまで時間がかかるようになるとは思っていなかった。これ以降、移動時間は今までの倍で考えて早目に行動するようになった。時間がなくなって焦ったりするとまた、階段の昇降などで躓きそうになって怖い思いをする。何事も余裕をもってゆっくり行動したいと思うようになった。

こういうっことはリハビリ室内での歩行訓練ではなかなかわからない。実際に外に出て初めてわかるのである。いい訓練になったと思う。

2009年3月25日 (水)

独自のスタイルへ!:麻痺手でギターを

やはり、良く言われているように発症後3ヶ月ぐらいまでは回復が早かったけど、それ以降はやや足踏み状態ながらも緩やかにゆkっくり治ってるって感じですかね。

ギターに関しても、普通のやり方で元に様に戻すのはハードルがかなり高いので、そうではなくて今あるハンディを逆に武器に変える方法を考えようかなと思ってます。
ボトルネックとライトハンド奏法をうまく取り入れようかなー。
独自のスタイルを生みだそうと画策ちう、アイディア募集ちう。

麻痺した左手に人並みの動きを取り戻させるだけでも大変なのです。~階段の左側にある手すりがうまく使えない(握り離しがあまりうまくできない)ぐらいですから…。それをギター弾ける様にしようというのは余りにもハードルが高すぎるのです。なんとか工夫しなければ…。

一応現在は、うんしょ、こらしょ、って感じで、なんとか一音ずつフレットを押さえて音を出すことはできますが、まぁ、早弾きや複雑な動きはできないので、なんとか初心者レベルに戻ったって感じの状態です。いろいろ工夫してみます。乞うご期待&アイデアぼしうちう!

2009年3月24日 (火)

ミュージシャンとして復活へ:ギターでリハビリ

麻痺した左手のリハビリにギターで行おうと考えていた。いやギター弾くこと自体がリハビリなのか?
11月に倒れてしばらくはベッドの上で動かなくなった左手をじっと見つめているだけの日が続き、やがて寝ながら左の指をなんとか動かす練習をしていた。

12月になってリハビリ専門病院に転院してから兄や友人がギターを持ってきてくれた。同じ経験があるマイミクギタリスト田中Gさんに見舞いに来ていただき、ギターリハビリグッズやアドバイスをいただいた(彼は右手麻痺だったが)。

左手の麻痺は当初、肩も肘も手首も思う様にはままならず、ギターのネックをつかむこともままならなかったし、指も、中指はなかなか思った様に曲がらず、無意識に薬指と小指は曲がりっ放しになるのでした。やがてネックがつかめるようになったが、肘が保持できず手がずり落ちた。なんとかヒジと手首が動く様になってもネックをわしづかみした状態で指が固まった様になってネック上を動かせなかったりしましたあせあせ(飛び散る汗)

それもなんとか動かせる様になって、なんとかひとつずつフレットを押さえて音になるようになったのは倒れてから2ヶ月後のことでした。それからなんとか指を動かして初心者のやるフレット練習や音階練習がゆっくりではありますが、できるようになりました。やがて新年を迎えた。肘が安定したが、ネックをわしづかみで、とてもフレットを押さえるレベルではなかった。指を動かす訓練をしてやっと「うんこらしょ。よっこらしょ」っと指を不器用ながらフレットを押さえられる様になった。初心者レベルよりかなり低い。

下手にジャズギターとかずっと習っていただけに複雑なテンションコードやポジショニングのイメージがあって、とてもじれったいのだ! いらいらとしてストレスが溜まる。
でもやっと2月頃にはギターによるリハビリがこれからだというところにきた感じになった。今はもっぱらスケール練習してますが、コード弾きはパッパッとはフォームが変わらないのでかなり苦労してます。音数を減らした省略形でないとなかなか機敏には動かないです。コードとベースラインとメロディラインを同時に弾く様なジョーパス的なジャズギターはもっての他です。でもやればやるほど進歩しているのでギター練習だけはやめられまへん。飽きないで一日中できるリハビリなので、これは良いです!

2009年3月23日 (月)

焦燥の中で自主トレ:リハビリ初期

いろいろな人から病気やリハビリのことの情報をメールや話を聞いて得ていた。

医者や療法士の対応は概して緩く、すぐに「今日はここまでにしておきましょう」とリハビリがあっという間に終わってしまう感じだ。一日で理学療法と作業療法、人によってはそれに言語療法が加わって、それぞれが各一時間といったところだ。長くても一日3時間だ。こちらは発症後なるべく早い時期(3ヶ月以内であると効果的に回復するらしいと聞いていた)にやっておきたいのでこれでは焦ってしまう。

リハビリが終わってからもリハビリで動かした動作などをベッドの上でもベッドの脇でも自主的にやっておくと良いと知人からアドバイスを受けた。とは言っても筋力トレーニングではないので疲れるまでやっては翌日のリハビリに影響してしまう。疲れない程度にやるのが良い。とにかく麻痺側の手足などの各関節を動かして脳内の運動神経を再生させるのだ。

オイラは当初はスクワット約30回をを2時間おきに一日中やったりしていたが、今思うとこれでは筋力トレーニングだ。筋肉はつかわないと硬くなるので、やっておいてこしたことはないがここまでは必要なかったかも。むしろもっといろんな筋肉を意識して動かす訓練をした方が良かったかもしれない。

今になって思うのだが、以下の二つは良い自主訓練になった様に思う。

1.爪先立ちと爪先立ち歩き:つま先立ちとかかと立ちを交互繰り返しを20回ずつを気がつくたびにやったのと、ある程度歩けるようになってからは爪先立ちで歩いてみたりした。もちろん疲れるほどやってはいけない。筋力トレーニングではなく神経トレーニングなのだ。

2.片足立ち:最初は何かに捕まりながらでも良い。麻痺足を中心に非麻痺足でも両方でやる。倒れないようにバランスをとるために足の各部分の筋肉をビミョウにコントロールするので良い神経トレーニングになる。慣れてきたら何も捕まらないで5秒、10秒、20秒と長く片足立ちをする。これを2時間おきに一日に何度もやった。もちろん疲れない程度にである。

他にもベッドに寝た状態で、両腕を頭の上に何度も持ち上げたり、自転車こぎのように両足を回したりといったようなこともやった。オイラはギタリストとして早く回復したかったので左手の各指を順番に曲げ伸ばししたり、左手の中で小さなものを回転させたりしたりとかいろんなことをした。(指や手首は曲げるより伸ばす訓練の方がとても重要らしい。麻痺手は曲がりっぱなしになりやすいのだ)

初期は上肢よりも下肢の方が回復が早かった様に思う。何度も自主トレしてもなかなか左手が思うように動かず、結構イライラした。一方で足の方は回復が早く、ある日ある動作ができる様になって、一気に回復が進むといった様に階段状に回復する感じであった。

2009年3月22日 (日)

見えてきた希望:リハビリの開始

発症してから数日を経て、CTで出血が止まったことが確認された。結局止血剤の点滴のみで止血した。発症から5日後の11/17のmixiカキコに止血が確認され、いよいよリハビリが開始されると書いていた。翌18日の日記にはリハビリ開始前の検査が行われたと書いた。

この検査で手足の感覚がどうなっているのか、どう動かすことができるのかを細かく調べた。この検査前では、母と兄はオイラは一生車椅子になる可能性もあると医者に脅かされていたらしい。しかしこの検査後、左手の機能回復はどこまでなるかわからないが、足に関してはリハビリで歩ける様になるだろうとのことであった。

オイラ自身は左手足の知覚がかなり鈍っていて、何処に自分の手足があるのか?触ったものの温度感覚や触感が鈍くてよくわからず、かなり落胆していた。それでも手足の指などは動かすことが出来たので、それで歩行は回復すると思われたようだ。この検査によってやっと絶望のふちにいたオイラの心に希望の灯がともったのだ。

そして発症からちょうど1週間後の11/20から本格的なリハビリが始まった。いろんなストレッチやマッサージ、平行棒に捕まりながらの歩行訓練、左手での雑巾がけやものの掴み取り、言語や認識などの感覚機能のテストなど。出血したのが右脳だったので、左の顔面神経がやや麻痺していてしゃべりにくかったが言語機能はやられていなかった。図形認識や感情なども各機能の異常はなく、左半身の運動神経と触感などの知覚神経のみががやられたようだった。こうしていろんなリハビリや検査が同時に始まったのである。

絶望の日々:発症からリハビリ開始まで

携帯電話を使用禁止なのに使っているところを見つかって、2度にわたって取り上げられたこともあってか、オイラは発症後1週間のmixへのカキコはあまりしていませんでしたが、発症翌日にすぐに見舞いに来た音楽仲間の女性がいろいろ状況をmixiに報告してくれていたのでそこから多くの人に入院が知れ渡ることになりました。

発症翌日に見舞いに来た音楽仲間によると「何処も痛くはない。」と「ギターが弾けなくなるかも」がオイラの第一声だったそうな。「左手足の感覚がない。」ということだったらしい。もともと不眠症で物事を考えすぎてしまう性格だったので、この頃は毎日病院のベッドに横向きに丸まって隠れながら自分の直面した不幸や自分の将来を案じて嘆き泣いてベッドを涙で濡らしていた。頭ははっきりとしていたし、余計に「オイラはまだまだ大丈夫だよー!」という心の叫びが大きかった。

ケータイで同じ病気(右半身片麻痺で左右の違いがあったが)の経験のある知り合いギタリストに状況を報告し助言を求めたり、兄がネットでこの病気のことをよく調べてくれたりした。またNHKで”戦うリハビリ”の特集もあった年で、いろんな情報がケータイや人伝えでオイラに知らされた。とにかく「必ず良くなるから諦めないでリハビリで治すという強い意志を持つこと」が必要だと諭された時期であり、多くの人から励ましをしていただいた。感謝感謝なのである。

リハビリは超早期に開始する方が効果がああるそうで、まだ意識が朦朧としているときからでも始めるべきという意見もあるそうだ。オイラは脳内出血の止血が確認されてからの発症後約1週間後からリハビリが始まった。兄がそのことをネットで調べていたので、リハビリがまだ始まり前から見舞いに来るたびに兄や母、兄の嫁がとにかくオイラの手足を動かすようにさせたり、手足にいろんな刺激(ツボ刺激の道具などを使った)を与えたりしていた。

この時点で左手足の感覚は鈍く、自分の手足が何処にあるかわからない状況だったが、左手の握って開いてとか左足つま先をあげたり下げたりの動作をやらされていたようで、、その動作は自分の意思でも動いていたらしい。

今思うともっとこのときに積極的にベッド上で横たわって、左上肢に関しては左手肩の上げ下げやひじの曲げ伸ばし、手首の曲げ伸ばし、手の指の曲げ伸ばしなどの単純動作の訓練をもっとやっておけばよかったと思っている。左下肢ではひざやもものの曲げ伸ばし、足首の曲げ伸ばし、つま先の曲げ伸ばし等の単純動作をタクサンやっておくべきだった。ベッドの上で横たわった状態で出来る動作で良いのだ。

必要なのは誤解しないで欲しいが、コレは決して筋肉トレーニングではない。神経の再生(つなぎなおし)なのである。やられたのは神経であり、筋肉は固まったり弱くならない程度に動かしておけばよいのだ。とにかく、4ヵ月後に退院した今思うことはこの発症後すぐの超早期のリハビリをしっかりやっておけば、もっと早く再生し、退院していただろうと感じているのだ。

2009年3月21日 (土)

ソレは突然の出来事だった!:脳内出血で倒れる

オイラはmixiという有名なソーシャルサイトでも日記を書いているので、当時のことをそこの日記への書き込みから思い出すことができる。

ことが起きたのは2008年11月12日の早朝であった。前日の11日に、仕事でうまくいかないこと(作成中の報告書の出版に際していろいろと新たな作業が発生した)があって、残業を少ししてから夜10時ごろに自宅のある綱島に帰り、いつもの串揚げ屋で食事しながら軽く晩酌をして帰った。家でコーヒーを入れて、さらにお土産でいただいたインドネシアのお茶を入れてくつろいだ。眠れなくなると思い睡眠薬のエバミールを呑んでから多分12時過ぎ頃に眠った。

早朝の5時頃だと思う。トイレに行きたくなって目が覚めた。しかし、左手足に違和感があった。手足が何処にあるのかわからないのだ。体の異変を感じながらもなんとかトイレに入って用をたした。トイレにいる最中に感覚がおかしくてうまく動かないのが左側の半身のみであること気づいた。数年前から高血圧気味で降圧剤を毎日飲んでいたオイラはすぐに脳内出血を疑った。多分コレは間違いない。左半身だけが思うように動かないのだ!

トイレですぐに119番で救急車を呼ぶことを決断した。トイレを出て携帯電話のあるリビングまで行こうとしたときには既に左手足は動かず、倒れて転がりながらリビングへ行って携帯電話で119番をした。通信記録では11/12の5:24である。

住所と症状を伝えて救急車が来るのを待った。しかしここでまた問題が発生。救急車が来てマンションのロビー玄関を開けるボタンを押すのに一苦労。立ち上がるのが困難だったのだ。さらに部屋の玄関の鍵を開けるのに一苦労、あちこちをぶつけてあざを作りながら転がって玄関まで行った。

あとは、救急隊員がオイラの携帯電話で兄や母への連絡先を確認し、連絡を取ってくれたようだ。オイラは救急車に運ばれ、救急隊員が搬送先の受け入れ病院を探して、都筑区にある昭和大北部病院に搬送が決まった。

このあと病院でCTとか撮って、降圧剤やら止血剤やらを点滴したようだ。オイラは医者の目を盗んで携帯で友人たちや会社に状況をメールした。mixiにもこの日の10:58には「今朝より脳内出血?左半身麻痺にて横浜市都筑区昭和大病院に入院してます。検査するので長引くかも。」という日記を書き込んだ。

兄貴の嫁さんや母がすぐに病院に来た。オイラは左半身が動かず、いわゆる寝たきりの状況で頭だけははっきりしていたが、「これからどうなるんだろう?オイラの人生はどうなるんだろう?もうギターは弾けないのかな?」などいろんな不安に駆られ、この後しばらくの日々は絶望し、焦燥を感じ、とても尋常な精神状態ではなかった。数日間友人たちにメールをしまくって気を紛らわせていた。(医者に携帯が見つかって2度も取り上げられた)

これが倒れた当日とその後数日間の集中治療室でのことである。

----------------続く------------

リハビリ日記の始まり:地獄の底から復帰しましたッ!

昨年2008年の11月12日の早朝に高血圧性脳内出血で倒れ、左半身片麻痺で入院し、約4ヶ月のリハビリ入院のあと、この3月に退院し、社会復帰しました。

入院当初、携帯で仲間や家族と連絡を取り、ケータイからネットで病気やリハビリのことを検索していろいろ調べたことが随分心の支えになり、回復も早まりました。

この貴重な経験をブログで残すことによって、今度はオイラの経験がオイラと同じ病気になった人たちの心の支えになると良いと思い、経過を書き残すこととしました。覚えている限り正確に書いていこうと思います。どうぞよろしくお願いします。

まずはご挨拶まで!次回から最初の経過から順を追って書いて行きます。

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