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2009年3月21日 (土)

ソレは突然の出来事だった!:脳内出血で倒れる

オイラはmixiという有名なソーシャルサイトでも日記を書いているので、当時のことをそこの日記への書き込みから思い出すことができる。

ことが起きたのは2008年11月12日の早朝であった。前日の11日に、仕事でうまくいかないこと(作成中の報告書の出版に際していろいろと新たな作業が発生した)があって、残業を少ししてから夜10時ごろに自宅のある綱島に帰り、いつもの串揚げ屋で食事しながら軽く晩酌をして帰った。家でコーヒーを入れて、さらにお土産でいただいたインドネシアのお茶を入れてくつろいだ。眠れなくなると思い睡眠薬のエバミールを呑んでから多分12時過ぎ頃に眠った。

早朝の5時頃だと思う。トイレに行きたくなって目が覚めた。しかし、左手足に違和感があった。手足が何処にあるのかわからないのだ。体の異変を感じながらもなんとかトイレに入って用をたした。トイレにいる最中に感覚がおかしくてうまく動かないのが左側の半身のみであること気づいた。数年前から高血圧気味で降圧剤を毎日飲んでいたオイラはすぐに脳内出血を疑った。多分コレは間違いない。左半身だけが思うように動かないのだ!

トイレですぐに119番で救急車を呼ぶことを決断した。トイレを出て携帯電話のあるリビングまで行こうとしたときには既に左手足は動かず、倒れて転がりながらリビングへ行って携帯電話で119番をした。通信記録では11/12の5:24である。

住所と症状を伝えて救急車が来るのを待った。しかしここでまた問題が発生。救急車が来てマンションのロビー玄関を開けるボタンを押すのに一苦労。立ち上がるのが困難だったのだ。さらに部屋の玄関の鍵を開けるのに一苦労、あちこちをぶつけてあざを作りながら転がって玄関まで行った。

あとは、救急隊員がオイラの携帯電話で兄や母への連絡先を確認し、連絡を取ってくれたようだ。オイラは救急車に運ばれ、救急隊員が搬送先の受け入れ病院を探して、都筑区にある昭和大北部病院に搬送が決まった。

このあと病院でCTとか撮って、降圧剤やら止血剤やらを点滴したようだ。オイラは医者の目を盗んで携帯で友人たちや会社に状況をメールした。mixiにもこの日の10:58には「今朝より脳内出血?左半身麻痺にて横浜市都筑区昭和大病院に入院してます。検査するので長引くかも。」という日記を書き込んだ。

兄貴の嫁さんや母がすぐに病院に来た。オイラは左半身が動かず、いわゆる寝たきりの状況で頭だけははっきりしていたが、「これからどうなるんだろう?オイラの人生はどうなるんだろう?もうギターは弾けないのかな?」などいろんな不安に駆られ、この後しばらくの日々は絶望し、焦燥を感じ、とても尋常な精神状態ではなかった。数日間友人たちにメールをしまくって気を紛らわせていた。(医者に携帯が見つかって2度も取り上げられた)

これが倒れた当日とその後数日間の集中治療室でのことである。

----------------続く------------

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