貧しい心
最近の話
人通りのとても少ないところに設置されたエレベーターやエスカレーターについて「エレベーターは車椅子用かも知れないが、エスカレーターは無駄だ。この設計の評価は減点だ。」みたいな意見を聞いた。そのエスカレーターは動きっぱなしではなくて人を感知して動くタイプだった。オイラからすれば車椅子ではなくても杖歩
行者にはエスカレーターはとてもありがたくて感激するところなのだ。エレベーターより乗り易くて便利だしね。
なんて心のないケチで貧しい発想なのだろうと思った。むしろ設計者は評価されるべきではないのか?と思った。
今の時代、とにかく無駄を省いて効率化を図ろうという風潮、判断基準が行きすぎていないか?
経済性に偏った良し悪しの判断基準としようとしていないか???
人に優しくて良いものを積極的に作ろうという大切な心意気が失われてきてはいないだろうか?
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コメント
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こういう評価をする人は、弱者に対する配慮だけではなくて、
デザイン的に美しいものとかも無駄に見えるのだろうか???
お花を飾ったり、絵を飾ったりすることも無駄に思えるのだろうか?
音楽やダンスもまた、芸術はすべて無駄なものにされてしまうのか?
そこまで極端ではないにしても、すべてを経済的価値に置き換えて判断するような
そのような考え方が根底に根付き始めてるとしたら、それはとてもゆゆしき問題だ。
フン…。どーせオイラは無駄な存在さッ!
投稿: までぃ | 2010年8月10日 (火) 16時15分