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2012年10月29日 (月)

日本語ブルースといふコンセプト

Muddy

オイラは学生時代からずっと洋楽ばかり聞いて育った。
最初にバンド組んで、文化祭で演奏したのは中学校の時だ。
(学校では吹奏楽部でホルンを吹いていたが。)
それ以来、高校、大学とずっといわゆる軽音楽部、軽音楽サークルで
ロックばかり演奏してきた。このときのオリジナルは簡単な英語で作ったロックだった。

この時には既にブルース・カントリー系のものばかり聞いていた。
デュアン・オールマンやライ・クーダーのスライド・ギターやグレイトフル・デッドのギター、
デビッド・リンドレーのラップスティールのコピーばかりしていた。
大学時代にクロスオーバー、フュージョンブームが到来して
ジャズっぽいものにも興味を持ちはじめ、更にバンジョーやマンドリン、
ペダル・スティール・ギターも購入して、アメリカ音楽全体が好きになっていた。

大学を卒業してからの丸3年間、プロのギタリストに師事してジャズギターを
マンツーマンで習ったことが、オイラのジャズとブルースあいのこ系ギター・スタイル
の原型になったのだと思う。

この時はまだほとんど歌ってなかったので、オリジナル曲はMIDIを使って
インストのフュージョンを主に作っていた。
このときはパット・メセニーグループが好きだったのだ。
演奏活動としてはジャズのセッションにギターでジャズ・スタンダード・ソングに
参加したりしていたが、もっぱら、ジョージア・オン・マイ・マインドやストーミー・マンディ・ブルースとかのボーカル入りの演奏の方が客やセッション仲間の受けが良かった。

やがて、歌い始め、曲も歌ものを再び作り始めた時(もう40歳を超えた位の頃)には
ギターにしても歌にしても音楽で自己表現する方法がわかってきていて、
必然的に自然にジャジーな感じのブルースで日本語で歌うという方向へ向いていった。
そして今の「マディ綱島&ウォーター・ブルース・バンド」の結成となった。
綱島のジャズ・セッションの中から生まれた日本語オリジナル・ブルース・バンドになった。

考えてみれば大学の先輩である吾妻光良&The Swinging Boppersも大学理工学部の校舎で聞いていた。知らぬ間に影響を受けていたのだろうか?
1年少し前に、出演しようと思って渋谷のテラプレーンの下見に行った時、ちょうどライブやってた吾妻さんに久しぶりにあった。向こうはこっちを知らないんだけどね。

吾妻さんとこの「極楽パパ」、「ゴミの日来るまで」とか日本語オリジナル曲はウチラのバンドのオリジナル曲の「クレジットカードで現金化」とか「昼はカレーだったから」とか、ユーモアのあるタイトルの付け方にも共通点がありそうだ。(笑)

今やってる音楽が多分一番自分の性に合ってるのだろう。そのまま自分が育ってきた環境を反映しているのだ。結局そういう風になるものなのだと思う。
 さて、12/22の用賀の「キンのツボ」のライブでは、日本語ブルースだけでなく
少しプログレっぽい曲やアダルト・オリエンテッドな曲も用意している。
どちらも日本語オリジナルなのだ。
いろんな物を吸収しながら進化を続けるのです。
どうぞよろしくお願いしまーす。

(上の写真はCD"OneMoreBookers'"、下は12/22クリスマスライブのフライヤー)
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